そこにあるだけで安心な慰め
2026/5/31
#
Life
#
Diary

コーヒーフィルターを切らしていたのに、昨日も買い忘れ、仕方ないのでキッチンペーパーをきれいに三角に折って、それでコーヒーを淹れた。
大抵のことは、こうしてなんとか乗り越えることができる。これでなきゃ、こうしないと、と思い込んでいるだけで、そんなことは誰も決めていないのだから。
テーブルの上には、読みかけの本や雑誌、もらった名刺、領収書の入った封筒、この間ポーラ美術館で買った絵葉書にノート、携帯電話のバッテリーなんかが散乱している。
なんとなく手を伸ばしたのは、ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」。この本はどこから読んでもいいのが好き。どこから読んでも“白いもの”が待っている。
物語を含んだ、その儚くも確かな色彩に向かって、こわばった手を差し伸べるように、じわじわと読む。そんな本だ。
彼女が人生を再び愛するためには、そのつど、長く込み入った過程を必要とした。
130ページ目の端を折っておく。

外では鳥たちが、ピュイピュイ、ヒーヨヒーヨ、と鳴いている。
ヒヨドリか、セキレイか、ウグイスも。
小学校高学年になる頃までは、母親に連れられて、「野鳥の会」や「自然観察会」の集まりによく参加していた。
覚えているのは、「鳩峯の森」のこと。わたしはそこで、何人かの子どもたちと一緒になって、キノコや鳥や動物の足跡を見つけて遊んだり、土のふかふかした感触や、落ち葉を踏むぐしゃぐしゃざっざっという音に耳をすましたりした。中でも好きだったのは、森の中で目隠しをして、鈴をつけたキツネ役から逃げる遊び。捕まらないよう息を潜めて、体を小さく丸めていると、本当にこの森の小さな住人になったみたいで、ドキドキしたものだ。
そうやって一緒に遊んだ彼らは今、どこで何をしているんだろう。同じ森で遊んだ子どもたち。一緒に鳥を眺め、落ち葉を踏んだ子どもたち。
ふと思い出す、何気ない記憶というのは、この自然と同じ、そこにあるだけで安心な、慰めのようだ。




