砂の上で踊るようなあたたかくも頼りない日々
2026/6/4
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Diary
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Life


今でも時々思い出す、「砂浜に踊りに行こうよ」という、言葉。その優しさの中にはいつもいつまでも体調の悪いわたしへの憐れみ、塞ぎ込んだその心をどうにか動かそうとする無邪気な強引さがあって、だけどその時のわたしにとっては、それがすごく救いにも思えた。
2023年の9月、サザンオールスターズが故郷の茅ヶ崎でライブをするのは10年ぶりとあって、湘南はお祭り騒ぎだった。その興奮は当時わたしの住んでいた逗子にまで届いてきたほど。そうか、サザンがくるのか。いいな。生で聴いたら、それはいいんだろうな。
だけどわたしはもうずっと体調が悪くて、立ち上がるのがやっとという感じで、足も手も心もフラフラで、あまり喋ったり笑ったりもできなくなっていた。
その主たる原因が、彼だったのに、その彼が突然やってきて
「砂浜に踊りに行こうよ」
と、言ったのだ。
ライブ会場にはもちろん入れないけれど、ビーチにまで漏れてくる音を聴こうとたくさん人が集まっているというのだ。
サザンビーチは、想像以上のすごい人で、ライブ会場と変わらないお祭り騒ぎになっていた。砂浜などまるで見えない。私たちは端っこにかろうじて隙間を見つけて入り込むと、確かに漏れ聞こえてくるライブ音に耳を澄ませ、歓声を上げた。
でこぼこした、踏みしめれば崩れていく砂の感触。その上に立って、わたしは手をあげ、小さく体を揺らした。本当は血の通っている自分の手や足や頭を、自分の力で動かすこと、わたしはそれをずっとサボっていたような気がした。こうやって、わたしは生きているのだなと、大げさだけど思い出したのだ。わたしは生きているし、踊れる。
彼が何度もわたしの背中を支えた。その手にも同じように血が通っていて、彼の体は彼が動かしている。触れた皮膚の感触で感じる、わたしと彼の境界。それは見失ってはいけないものだ。
その彼はもういない。だけど今でも、体や心がつらくなったとき、この言葉を思い出す。そして自分に言ってあげるのだ。
「砂浜に踊りに行こうよ」
人生のひとときは一緒にいてくれた恋人。その顔は、もうあまり思い出せなくなっても、わたしはその人のくれた言葉はなぜかちゃんと覚えてる。全部、すごくすごく大切なものだ。そう言う言葉を、わたしも彼らに残せただろうか。いや、残ってなくてもいいか。砂みたいに頼りなくて、だけどあたたかい何かになって、消え去っても。




