台風の過ぎ去ったあと、私の世界、ワインとパンと金木犀
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Diary
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Life

台風が過ぎ去り、真夏のような暑い晴れの日。私は昔から、なんでも、“過ぎ去ったあと”というのが好きだ。台風、大雪、運動会...なんでも。
3時ぐらいまでは仕事(といっても、書いたものを永遠にコピペするような作業的なもの)しつつ、横目で「ダウンタイム」を観る。主演の松岡茉優さんはじめ、役者さんの演技が本当に素晴らしく、その迫力についつい手を止め、見入ってしまう。
最近、ほうれい線が気になって、毎日鏡と睨めっこしてはため息ばかりついていた。それで「糸リフト」について調べてばかりいたので、なんだかぜんぜん人ごとと思えない。「若くて美しいこと」が称賛される一方で、「年相応」であることが求められる。そういう「声」ばかりスクロールしていると、時たま、頭も心もグラグラになって、どうしていいのかわからなくなってしまう。
15時過ぎ、自転車に乗って鎌倉図書館へ。空が、とてもきれい。ルノアールの絵みたいだ。

お目当ては、雑誌「文學界」の、江國香織さんと金原ひとみさんの往復書簡。最近の号まで全部読んだ。大人の閲覧スペースは人がいっぱいだったので、ガラガラだった、子ども用図書スペースの隅っこを借りて。背中が丸見えのワンピースを着ていたので、タトゥーが入っている大人が、子ども用の小さな椅子に座って本を読んでいることを、怒られるのではないかとドキドキしていたのだが、特に誰も何も気にしていないようでホッとした。それになぜかその小さな椅子はとても居心地がよかった。昔よく、こうして図書館に通って絵本を読み耽ったり、お話会に参加したりしていたことを思い出す。

往復書簡の中で、まさにお二人も「年相応」について意見を交わし合っていた。
江國さんは、初めて60代になったのに、「年相応」がどういうものなのかわからない、ずっと着ているものも、喋り方も、行く場所も変わっていないから、それがいつの間にか「奇行」になっているんじゃないかハラハラするというようなことを書いていて、それがおかしくて、思わず笑いを堪えた。
そうなんだよね、自分はずっと変わらないだけなのに、いつの間にかそれが「年相応」じゃないと、人に軽蔑されるようになるのかな...。それって誰のなんのジャッジなんだろうか。
それにしても、私のシルバーウィークはとても地味だ。一昨日も昨日も今日も、誰にも会っていないし(雨というのもあるけれど)、こうしてやっと晴れた日も、喜んで行く場所は図書館だけ。本当に、なんにも変わらない。仕事するか、図書館へ行くか。今はそこに海を眺める、ということも加わったけれど、私の世界は大体それで成り立っている。
図書館の帰り、紀伊國屋でちょっといいワインと30円引きのさつまいも入りパンを買った。自転車に乗って、まだ明るい空を見上げる。台風の過ぎたあとの夕方の空気を吸い込むと、ほのかに金木犀の匂い。意味もなく立ち漕ぎをしたくなった。



