ナイストゥミーチュー!

2026/8/11

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    Life

週末、お母さんが来ていた。鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りを2夜連続で行こうとしていたのだけど、この暑さと人いきれで「もういいかな」となってしまい、日曜は辻堂のモールで買い物をして、「パパイヤ」へ。

                  

海の家にお母さんを連れて行きたかった。

父親は私たちを旅行に連れて行くような人ではなかったから、海の家でのんびりするなんて、そこでお酒を飲んだり、ゆっくりおしゃべりしたり、潮風に吹かれたり、なんてこと、お母さんはきっとしたことがない。だから、それを味わわせたかった。

           

お母さんといると、いつも「あと10年」ということばかり考えてしまう。実際「あと10年しか生きられないかもしれないから」「あと10年後にはどうなってるかわからないから」と、度々聞かされるせいもあると思うが、「あと10年」の短さを、この歳になって私も何となくわかるようになってきて、(だって30歳になったのはつい昨日のことのようなのに、今私は40歳を超えている)お母さんが「あと10年」、できるだけいろんなことをして、この世界を楽しんで味わっておいてくれたらという気持ちでいる。こんなことを書いていると思わず涙ぐんでしまうのだけど、本当に、そう思ってる。

人のために生きてきたような人だから、「あと10年」くらい、自分のために生きてほしい。できなかったこと、やりたかったこと、きっとあるだろう。

             

お母さんは今、ものすごく英語を勉強している。寝ても起きても英語。ラジオで「基礎英語」を聞き、youtubeで英語レッスンをし、週に2回、カルチャーセンターに通い、ずっと英語を勉強している。そういう姿を見ていると、本当に年齢なんか関係なく、世界はどこまでも広がるのだと感じる。生き生きと学ぶ70歳を前に、最近何にでも腰が弾けるようになっている自分が情けなくなる。

              

「今からお母さんとパパイヤに行こうと思うんだけど」と、きょうちゃんにメールしたら、「わたしも今Kさんとパパイヤに集合しようとなったとこ」と返事があり、これはナイスタイミングとなる。前々からきょうちゃんと母を合わせたかった。二人とも射手座で、語学や海外に窓が開かれている感じ、好奇心旺盛で外へ出て行く感じがよく似ているなあと思っていたのだ。

「ナイストゥミーチュー!」

砂浜できょうちゃんを見つけると、お母さんがそう言って手を広げた。きょうちゃんは「お母さん、最高なんだけど」とケラケラ笑って、二人はごく自然にハグをした。

わたしはそれを見てなんだか感動してしまう。

母親と娘たちというよりは、女が3人集まった感じ。いいな、こういうの。

               

ビール片手におしゃべりしていると、先日きょうちゃんが知り合ったというはじめましてのKさんが合流し、私たちは乾杯し直す。海風と、波の音と、子どもたちの歓声と、グラスの水滴と、ぬるくなったビールと、そんな景色を眺めながらお母さんも楽しそうにおしゃべりしていたので良かった。数年前は、こんなことをできるなんて考えていなかった。ここにこうしていることも、こんな気持ちになっていることも。

「あと10年」は「あと9年」になり、「あと8年」になり、そしてお母さんは死んでしまう。

それは必ず、確実に、やってくることで、わたしもその時間の中で歳を取って、きっと今できることができなかったり、違う不安や困りごとができたりもするだろう。

母の死をわたしはどう受け止めるのだろう。そのとき何を感じるだろう。できることなら、「この10年に悔いなし」と、思いたい。お母さんにももちろんそう思ってほしい。そして笑顔でハグを交わしたあの二人のように、ごくごく自然に見送りたい。「サンキュー、グッドバイ!」と言って。